ウォーキングウエブとは?
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[ 16] ウォーキング
[引用サイト] http://www.geocities.jp/m_shilar/walking-etusei.htm
著名な探険家の一人に高橋大輔という人がいます。彼があるテレビ番組の中で「私にとっての探検はゴールを目指す以前にプロセスを楽しむことです」と言っていました。このことばを聴いて、なにかとても心を惹きつけられました。
プロセスを楽しむということばに心が惹きつけられた理由はこうです。彼が手がけた探検や冒険は、いつもうまくいっていたわけではありません。ときには目的や目標なるものを見失って、挫折しかかったことも何度かあったようです。その幾度もの挫折や失望を乗り越えてどうにかひとつのことを成し終えたとき、彼の心にふつふつと沸き起こってきた思いを表したことばであるということが分かったからです。
人間は誰しも、人それぞれに為し遂げたいなにものかを抱いて生きているものです。そのなにかを成し遂げたいという気持ちがあるからこそ、人は生きていけるといっても過言ではないような気がします。しかし、その思いのとおりにうまくいく人などは何人もいないものです。ですから、物事を成し遂げる過程で時には妥協を迫られることがあります。それでもなお、人は人であるがゆえに夢を追い続けようとします。この世を去るまで夢を手放さないことで生き続けもします。
そんな人の性に、彼のことばは一つの光明となっているような気がしました。たとえ夢は実現できなくても、時には完敗という形で終ることがあろうとも、夢を追い続ける過程で、最善を尽くしたという満足感を感じ、力を出し切ったという爽快さを感じることができればそれはそれでよいのではないかというのです。この満足感や爽快さを感じることこそが、プロセスを楽しむ姿なのです。
人間でなければでき得ないプロセスを楽しむという気高き行動は、ウォーキングというスポーツにはよく出てきます。ウォーキングでは、競い合いこそしませんが、その人の体力に応じて、限界に近い距離を完歩するという場面が多々あります。このような姿をはたで見ていると、ただ黙々と歩き続けている姿が理解できないこともあります。しかし、当事者は歩きのプロセスを十分に楽しんでいますから、疲れを疲れと感じることなく遂には完歩してしまうのです。
かなりの高齢の方や体に障害がある方、時には幼い子どもまでが、完歩したいという無欲の歩きを続けて、若年者や健常者に驚かれるほどの距離を歩き抜くということがよくあります。ゴールだけをめざしていては実現できないことで、このときの姿こそが歩きの過程(プロセス)を楽しみ続けた結果がもたらしたものであることに他ならないと私は思います。
連日のようにグルメ情報がこれでもかこれでもかと流されています。いまや飽食の時代に翻弄される生活を続ける人々が増加の一途を辿り、メタボリックシンドローム何のそのの人口も増えに増え続けています。
こうした風潮の中、国では、医療対策の施策として一日一万歩なる運動を推し進めざるを得ない状況になってきています。こうした国の思惑にもかかわらず、バランスのよい食事とウォーキングなどの有酸素運動の必要性を知りつつも、これを実行に移せる人はほんの一握りで、国の財政を圧迫するほどの医療費がつぎ込まれる一方の現状があります。
江戸時代の三代将軍徳川家光のころ(寛永7年(1630年))に、福岡城内に生まれた貝原益軒という本草学者で儒学者でもあった人物が次のようなことを言っています。「人生まれて学ばざれば生まれざるに同じ、学んで道を知らざれば学ばざるに同じ、知って行わざれば知らざるに同じ。」この言葉は、現在のわが国の誰しもが熟読玩味して生活の改善に生かしていくべき言葉ではないかと思います。
人の命や健康は国家の宝です。病んでいたり、短命で失われるようなことがあれば国家として大損害であります。日本は世界一の長寿国だといわれていますが、本当の長生きとは、病床で寝たきりで延命治療を受けながら生き続けることではありません。健康体で、各人が持てる能力を十分に発揮しながら、生き生きと生活している姿が本当の意味での長生きの状態なのです。表面の統計結果に惑わされることなく、本当の意味での長生きを目指す生活をし続けたいものです。そのためにも、貝原益軒が言っているように、正しい食生活のあるべき姿をもう一度学びなおし、その学んだことを実行に移し、継続することだと思います。
厚生労働省は、急増している生活習慣病(別名「運動不足病」とも呼ばれています)の予防対策「健康づくりのための運動基準」として、運動量の目安を日常的に体重60kgの人で、一日に一万歩の歩行を基準にしています。また、日常的な運動に加え「週当たりの運動量」も基準値に加えています。週当たりの運動量の目安は、「早歩きで、週に1時間」や「週当たり60分の自転車」、「ジョキングやテニスを週に35分間」などです。
こうしたことを参考に取り組む必要がありますが、全て自分を初め家族のためになることですので、知ったら行いとすべしですね。(979字)
ウォーキングを継続していると、血液の循環がよくなって脳が活性化するといわれますが、まさにその通りで、精神的な余裕も出てきて、詩人のように作詞や作句をしてしまうことがあります。当初はたわいもないことをつづったり、十七文字に押し込んだりして感じたことを気軽に詠み流していましたが、そのうち誰かに聞いてもらいたい、読んでもらいたいというような気持ちが起こり、作品(?)を発表したいという人間独特の考えにいたりました。
そんなことがあって、とある雑誌に作品の投稿を試みたことがありました。これが幸いにも取り上げられて掲載されました。このことがきっかで、何度か投稿を繰り返しているうちに、その後も二度・三度と掲載されることが出てくるものですから、これは本格的に勉強しなくてはならないという、半ば強迫観念に駆られるようにして、関係の本などを買い込んで勉強するようになりました。
勉強したからといってにわか作りでは本物ではないのですが、こういうことが素人なりの楽しみになってくるものです。ウォーキングを楽しみながら川柳作りもやってみようという気になったのです。その結果、ウォーキングの継続と川柳づくりとがうまくかみ合って、車の両輪のように動き出しました。
俳句と違って川柳では、季語がない分、何か課題を見つけると割りと気軽に作ることができるというところがあります。吟行にも似た歩き(ウォーキング)を楽しみながら、歩きを題材とした作句をはじめ、歩きの中で見つけた人事、風景、ウォーキング手帳に書き込んでおいたお題などを中心に作句します。題材としてのウォーキングに関しても、ウォーキング・グッズに焦点を絞るとか、ウォーキングへの思いに焦点を絞るなど、ちょっと視点を変えれば無限ともいえる作句ができることに気付きました。例えば、「スニーカー今日も誘うウォーキング」は、ウォーキング用のスニーカーに焦点を絞って、主語に考えたらすらすらと出てきた一句です。こんな要領です。
「ウォーキングおしゃべりの間にゴールイン」は、女性の方々のウォーキングの様子をそのまま読んでみました。
「ウォーカーの歳を感じぬ歩きっぷり」「ウォーカーの腰のボトルがはしゃいでる」「お揃いのルックが似合う老夫婦」という具合にどんどんできてきますね。もう面白くてやめられなくなります。
欲が出てきて、邪道と言われながらも俳句や短歌にも手を出していますが、川柳では表現しにくいところを俳句で、字数の関係で短歌でぐらいの軽い気持ちで楽しむのも一興ではないかと考えています。
ウォーキングのみを楽しむのではなく、川柳づくりなどのように知的な活動と組み合わせて楽しむことも一つの方法ですよということで紹介しましたが、それぞれで様々な工夫をして、おおいにウォーキングを深め楽しんでもらいたいと思います。
東京工業大学大学院生命理工学研究科教授の本川達雄氏は、「人間50歳を過ぎれば“おまけの人生”」ですと言っています。彼によれば、どんな動物でも心臓が20億回打って止まるといいます。人間の場合これからいくと50歳が寿命ということになるんだそうです。しかし、科学文明の発達した人間社会では、「社会的な時間」が加わりました。その結果、50歳を超えてはるかに長生きするようになりました。この50歳を越えた部分の寿命が、彼の言う“おまけの人生”ということになります。
しかし、長生きしているとはいえ、心臓はゆっくりになり、胃袋も小さくなって、今までと同じように行動できなくなります。そこで、50歳を過ぎた寿命(残りの時間をどう生きるかが問題になってきますが、彼は、意識的にゆっくりした時間を持つことだと言います。そして、今まで続いてきた生命の流れを絶やさぬように、果たすべき義務を全うすることが大切だというのです。
その義務とは、彼に言わせれば純粋に次の世代のためになる活動をすることに尽きるというのです。具体的には、それはどんなに小さなことでも良いのですが、次世の人類のためになることを残すという意味で、広義の生殖活動をなすことだと提言しています。私は、この提言でいけば、団塊世代といわれる人たちが、いかに上手に老いて、これからの社会の鍵となることを一つでも多く後進に伝えていくということになるのではないかと考えています。
子育てにかかわる問題一つをとっても、また、戦後の食糧難下での「もったいない運動」で育てられた経験からいっても、参考になる考え方や実践例は山ほどあるはずです。こうした人間が生き抜くために必要な知的財産を伝え残していくことが、彼が提唱している広義の生殖活動だと言えると思われるからなのです。そのためにも、各人が心身ともに健康体である必要がありますので、ウォーキングのような適度な運動を毎日欠かさず、バランスのよい食事に心がけて、健康でパワフルな頭脳を保持していく必要があります。心身の健康は、人間社会に貢献し続けるための基礎基本なのです。
ウォーキングがよいからといって、がむしゃらに量を増やしたり、強度を高めたりしたら、それこそ大変な事態になります。過度の運動による関節障害が数多く報告されている事例を考えても、ウォーキングが体に良いからといって、し過ぎは禁物です。過ぎたるは及ばざるが如しという諺どおりで、これが健康によいからといってがむしゃらにおこなえば、必ず弊害が出るものです。
軽度の運動であるウォーキングも、その時々の体調に合わせたり、自らの年齢を考慮したり、個人の体の状態・状況を十分に考えて実行することが大切です。私が知っている方で、健康食品を上手に使っている方がいましたが、この方は以前の不健康な状態が改善して皆から驚かれるように元気になりました。この喜びをボランティア活動にお使いになって、皆さんのお役に立てることがうれしいと生活にもはりが出てきたと言っておられました。素晴らしいことです。
一方で、健康食品だからそれだけを摂取すればよいと頑固なまでに、食事代わりに健康食品を猛烈に摂取し続けた方がいましたが、お気の毒に癌で亡くなられました。医師の見立てでは、健康食品だけを摂取した栄養失調からくる体調ストレスが根本的な原因であったようです。まさに過ぎたるは…の類ではないでしょうか。
運動とりわけウォーキングは、人それぞれに応じて楽しみながら、ながく継続してこそその効能が出てきますから、焦らず、凝らず、息長く続けられるように工夫することが大事になってきます。そこのところを見つける意味でも、中庸の構えでじっくり取り組むことにしたいものです。特に、糖尿病、心臓病、高血圧などのために運動療法を始める人は、主治医の指示・指導をきちんと守ることが必要です。また、持病のない人でも、急激な運動のしすぎを防ぐために、徐々に運動強度を強めることの必要性などが指
このように、運動は本来的に程ほどに習慣的にすることが大事なわけですから、次のようなときは運動のやりすぎといわれています。
これはそのままウォーキングにも当てはまるわけですから、長時間歩き過ぎたり、あまりにも速いテンポで歩いたりすればほどほど運動ではなくなってしまいます。歩けなくなったり、歩くことがいやになってしまって、逆効果にならないようにけしてし過ぎのない適度なウォーキングを楽しみたいものです。
佐野眞一著「この国の品質」を兄から勧められて呼んでみました。一貫して、わが国の閉塞感は「読む力」すなわち彼流で言う「人間力」の衰退にあるといいます。哲学がどうのこうのという言い方をしている私ですが、実のところそんなに深い意味でいっているわけでもありませんし、佐野氏の言うような高級な時点でのものの考え方をしてこなかったこともあるので、この本のレベルでの議論となると恥ずかしながら講評のこの字も述べることができません。
しかし、「あるく、みる、きく、かく」という彼の視点には全く同感で、彼の指摘のように、もしわれわれ日本人が劣化して進行形でそれが止まらないとしたら(実は、私もかねがねそう感じてはいましたが…)、この本の中で佐野氏が指摘しようとしている部分が欠けていると同時に軽視されるような社会的風潮にあるからだと感じました。
私の父は、生前とても司馬遼太郎が好きで、彼の書き物を沢山買いあさり読みふけっていました。そんなこともあって、私も子どものころからその一部を詠むことが多々あったのですが、なぜこれほどまでにヒットする諸説に基づく小説が書けるのか不思議でならなかったものでした。この司馬遼太郎氏と、佐野氏が信奉する宮本常一両者の歴史観の捉え方を比較論じる箇所が本の中には出てきますが、両者の違いをずばり、「あるく、みる、きく、かく」の違いに帰着させています。
司馬遼太郎氏が自分の足で歩くことなく、聞くこともしないで、おびただしい収集資料から積み上げて作り出す歴史観を構築するのに対して、宮本氏は、まさに腰弁当で歩き、個々の人物に当たって聞き取りをして築く歴史観で物言うのだというのです。
人それぞれに手法というものがありますから、何がよくて、どれがいけないのか、どれが最善になるかなど、全く言い切ることはできないのだと思いますが、私なりの長い人生経験から言って、宮本氏の手法には間違いはないと思います。
歩きを論じる人の中には、この宮本氏のような手法を正道ととらえる人が少なくありません。古くはお釈迦様がそうであったと言われていますし、身近な方では、政治家の菅直人氏がこれを実行に移されたことはよく知られています。
私たち凡人も、日常のウォーキングの中で、自らの足でその地を歩み、自らの目でその地を見て、自らがその地の人と会話し、日記に記しおくなどして、歴史を積みかせねるということをよくやります。この日記=手記=時には川柳、俳句や短歌になったものはかけがえのない歴史であります。こう考えてくると、まさにウォーキングという行為がこの国の品質を高める土台になっているではありませんか。
私の釣りの師匠と呼べる先輩が、三作目の本を出した。「どじ踏んじゃった!」というタイトルで、これがなかなかの傑作で評判がいい。その本の中に、釣師三楽の項がある。
この中で彼は、『孟子』尽心の章を引き合いに出して、君子たるものの楽しみが説かれていることに触れている。古来、君子三楽と称される名章である。
『孟子曰く、君子に三楽有り。而して天下に王たるは、与かり存せず。父母倶に存し、兄弟倶に故無きは、一の楽しみなり。仰ぎて天に愧ぢず、伏して人に恥ぢざるは、二の楽しみなり。天下の英才を得て、之を教育するは、三の楽しみなり。君子に三楽あり。而して天下に王たるは、与かり存せず』
君子の楽しみは、家族が健康で仲が良いこと、正しい行いをして誰にも恥じないこと、優秀な人材を教育すること、の三つであって、権力の座に付くなど眼中にない、と言うのであるが、私もこの部分は大好きで、現職時代は手本にしてやってきたつもりである。
彼は、釣りの楽しみ方をこれに照らして、わたしの場合は、釣りそのもののほかに、次の三つを合わせ楽しんでいると言っている。
さて、私の場合、ウォーキングを人生の最大の楽しみとしているのであるが、ただ歩くだけではなくて、私流の「ウォーキング三楽」があることに気付いた。
二の楽しみ、野草や野鳥などをはじめ数多くの自然と一になれること
彼はこの三楽目を現実化させ、三作目を実現したのだが、私も遅ればせながら、三楽目を実現すべく、二作目に挑戦中である。釣りばかりでなく、彼の生き方をさらに参考にしていきたいものである。
彼はこの項の最後で、ポール・クイネットの文章を取り上げている。「希望のない状態は、悲観的で悪い。希望に満ちた人には力と自信がある」。趣味に生き、常に希望を持つ者は、力と自身が与えられるということだと思うが、まさにそのとおりだと思う。
昔若い頃、別の先輩から、趣味を持ちなさい、趣味を持てばいつまでも若わかくしていられますよと聞かされたことがあるが、趣味を持つ人間は確かに彼のように若いし、自らを振り返ってみても若くしていられることを実感もしている。
イギリスのケンブリッジ大学の研究班が、イギリス南東部の45〜79歳の健康な住民約2万人を対象に1993年から1997七年にかけて健康調査を実施して、2006年までの死亡率と生活習慣との関係を解析したものがあります。
人は、4つともない人より、同年齢で病気になる死亡率が四分の一と低く、これは14年分の寿命に相当することが分かったといいます。
この調査結果は、かつてタバコ一本の喫煙で5分寿命が短くなるといわれていた医学的根拠から計算した値の約4年弱と比べると極めて大きな値で、他の要因が加わった場合には、大きな数字になることがわかったという意味で大いに意味がある調査結果といえます。また、これまで四分の一などというように漠然とした表現をとっていたものが、14年分の寿命に相当するという具合に、より具体的な年数で指摘した点で評価されると思います。
ウォーキングを習慣化すると、ウォーキングを継続するためにこれら4つの生活習慣を自然と守ろうとする意志が働きますし、少なくともそうせざるをいない状態に身体が置かれます。したがってウォーキングの習慣化が長寿命に道を開いていることは間違いないようです。
あるテレビ番組で、よく運動する人とあまり運動をしない人では、男性で大腸がんにかかる率が3割の差があるということを報じていました。これが直腸がんになると、4割に増すというから驚きです。
女性に関しては、運動とこの種のがんの相関関係は分からなかったようですが、似たような結果が考えられるような気がしました。
このニュースを解説されていた方が、ここで言う運動の最適な例として、「よく歩くこと」をあげていましたが、とても印象的に残りました。というのも、がんと歩きの関係については、よく歩く人ほど各種のがんにかかる率が低いということが、以前からよく言われてきていたからです。医学的にはホルモンバランスが大きく影響しているようですが、それ以外でも私の経験から言うと、歩きの習慣に伴って食生活が変りますので、偏った食事がもたらす弊害から遠のくことが考えられます。
そもそもウォーキングが習慣化できるということは、当事者が健康に関心を持っていることに他ならないわけですから、適度な運動だけを実行して、偏りのある食事をしたり、暴飲暴食の習慣は継続するということはありえないことなのです。自然と食に関しての正しい習慣を身につけるようになるものです。
もう一つ重要なことがあります。それは、ウォーキングが習慣化してきますと、精神的にも安定した状況がもたらされるのも事実です。この安定した精神の状況下で知的な活動をするようになるとか、穏やかな気持ちが醸成されるとかしますから、精神的なストレスが極端にかからない体になりますので、がんととは無縁な身体になってくるのだと思います。
歩きは特定ながんばかりではなくどのようながんにもよい予防策と考えて、大いに歩きを楽しみたいものです。
昔から汗をかかない人はうらやましがられたりしましたが、最悪の事態では体の体温調整が出来なくなり死に到るといいますから、とても喜んでなんかいられない危険な状態であると言います。
両汗の違いは、どうも常日頃運動している人と運動不足の人とのかく汗の違いということになるようです。
悪い汗では、不必要な塩分の流失が起こっていて、べたべたした汗になっているのが特徴です。汗を出す汗腺を改善して、いい汗をかくためにはどうすればよいのだろうかということになりますが、ずばり、ジョギングやウォーキングなど適度な運動をすることだということになります。
番組が放映されていた時期の6月は、汗のかき方が悪いと危険な季節でもあって、徹底解明していい汗をかこうというのが番組の趣旨でしたが、運動後には、失われた塩分補給上、1リットルの水に2グラムの塩を溶かしこんだ水の補給も忘れないことが述べられていました。参考にして、いい汗をかいて健康に過ごしたいものです。快汗!
どんな気象状況下でもウォーキングを欠かしたことがほとんどないのが自慢ですが、
さすが冬場の寒冷期のウォーキングは大変なことが多いものです。体が温まるまではある程度の寒さを我慢しなくてはならない上、体が温まってくると次は汗対策が欠かせません。これをいい加減にして、風邪でも引いたら大変です。
ある冬の一日、身体がなかなか温まらないので、ついつい長距離をやってその日のウォーキングを終えました。冬の日暮れは早いもので、午後四時を回ると薄暗くなってしまいます。帰宅した時は当たりは真っ暗、お腹もすいていたのではやめの夕食を済ませて風呂に浸かったら、眠気をもよおしてしまいました。ということで、これまたいつもよりはやめの就寝と相成りました。
こんな時は、不思議な夢を見るものです。まだ若い頃の研究心猛けていたころの研究室での自分をみる羽目になったのです。夢の中の私は、一生懸命地層から取り出した微生物を観察しているのですが、この微生物の地層中でのアンバランスな分布が微弱な電位差が生じさせていることに気付いたのです。この電位差の違いを、さまざまな地層で測定することにより、地層の地質時代の同定(特定の地質時代を明らかにすること)ができるということに気づいて歓喜している姿でした。こんなことは現実としてありえませんが、夢の中では世界で初の大発見になっていて、有頂天になっている姿でした。
なぜこのような夢を見たのかは皆目見当がつきませんが、歩き過ぎた体が、若き時代に成しえなかったことを成し遂げることで、自らを癒そうとしたのでしょうか。それにしても不思議です。たいがいの夢は目覚めとともに忘れ去るのが常ですが、目覚めてもはっきり覚えていて、夢の内容を確かめなさいといわんばかりなのです。
一枚の地層の中で化石の分布が一様でないことはよく知られた事実ですので、ここまではよいのですが、微弱な電圧差として計測可能かどうかは私にも分かりません。地層中を電流を流すことは可能ですから、通電の違いとして計測可能だとしても、それが特定の地質時代の地層に共通したものにはなりえません。ということで、地層の同定には到底無理があります。それにしても考えもしていないことを頭脳は夢として見させてくれ、楽しませてくれたのですから、不思議でもあり、ありがたく(?)もあります。
この冬の長き夜の夢は、過度のウォーキングがもたらした戯れとでも言いようがありません。
人間は、時として奇妙な夢を見ることがありますが、今回の夢は、本屋の買い物でおまけに紙の端切れをたくさんもらうというものでした。
何でこんなものをくれるのかと聞いたら、紙の端切れでもいろいろ使いようがあるといって、箸置きや破れのつくろい方などを説明してくれるというものでした。
それで、紙の端切れでも大事にしなさいという諭をしてくれている夢で、紙の端切れを夢の中では「お端っこ様」と呼んでいたのです。
夢から覚めても、このお端っこ様が頭から離れず、家族に話したところ、笑われてしまいました。
最近環境問題を話題にする機会が多く、ごみの分別や「もったいない運動」をささやかながら実践しています。その意識が夢の中で働いてこんな夢を見たのだろうと思います。
それにしても、「お端っこ様」なる言葉が夢の中で創造されたような気がして、何か神秘的なものを感じてしまいました。と同時に、常日頃の人間の行動やかかわりが無意識的に働く可能性を知ってうれしくもあり恐ろしくも思いました。
というのは、子どもなどがテレビなどを通して日ごろ見ていることが、よしあしにつけ夢のなかに現れることになりはしないかと思ったからです。それが夢どころか現実の世界で行動となって表れてくるなどということも考えられないことではないと思ったからです。そんなわけで、子育て環境の重要性をこの夢を契機に再認識したしだいです。
小学生低学年のほんの子どものころの話ですが、釣りが大好きで、近所の友達と連れ立ってよく釣りに出かけたものでした。もちろん釣り場までは歩きです。このころの子どもには自転車のような乗り物がない時代ですから、遊びに行く時には皆いつも歩きです。われわれの年代のウォーキングの基礎はこのころから培われていたのかもしれません。
歩きなれているといっても、二キロ強の道のりを釣竿やバケツなどの釣り道具を持っての歩きですから、この年齢の子どもにとってはかなりしんどかったようです。
ついついあるとき、近道をしようということになりました。釣り場から迂回せずに川を渡れば数百メートルもの距離が短くなるのです。かといって川こぎは嫌でした。そこで目をつけたのが、直ぐそばを走っている鉄道の上を歩くことでした。当然川を渡るには鉄橋を渡ることになります。少々怖かったのですが、汽車は一日数本しか通らないことが分かっていましたし、周りに人影はなかったので叱られる心配もありませんでした。皆の意見は直ぐに一致しました。
しかし、鉄橋に差し掛かってはじめて気がついたのですが、足元が透けていて、下の川の流れが見えるのです。こうなると、勇んで歩いてきたものの、足がガクガクしてくるではありませんか。かといって誰一人としてやめようと言い出せません。引き返す勇気もないまま鉄橋を渡り始めましたが、みんなの足はソロリソロリで、とても近道をした意味がありません。時間ばかりかかって、渡っているうちに遠くに汽車が来てしまいました。警笛をいやというほど鳴らしながら接近してくるのですが、皆足がすくんで走れないのです。
最後の手段とばかりに川に飛び込もうと試みましたが、鉄橋が高くて勇気がありません。ついに、皆魚の入ったバケツや竿を投げ捨てて、隙間だらけの枕木の上をがむしゃらに走りはじめました。足の速い者は走りきれましたが、そうでないものはかろうじて途中の非難スペースに身を寄せました。そのそばを汽車がけたたましく警笛を鳴らしながら通り抜けました。
汽車が去った後、誰も口を利きません。でも、心の中で考えていることは、皆同じでした。学校に連絡されて、先生からしこたま叱られること。家ではいやというほど叱られた上、ぶん殴られること。家までの足の重かったこと。
「あいづら、驚いだべな。これに懲りて、二度とあんなごどしねべ」と機関手さんが言っていたのかもしれません。本当です。二度としていません。
に日暮山(標高602m)という山があります。町では、4月の29日の「昭和の日」に毎年、この山の山開きを開催します。この日はウォーキングのイベントが少ない上に、コースの一部は、昔海岸で採れた塩を内陸に運ぶために利用した塩の道という街道が組み込まれている上に、モミの原生林などが見られる大自然と野鳥のさえずりに包まれた約3時間の気軽な登山が楽しめる山で、福島県の「うつくしま百名山」にもなっていることもあり、一昨年のこの日は家内とその山開きに参加してみました。
観光協会が大々的に開催行事を行い、町長さんが出席してあいさつをするなどの力の入れようで、とても好感がもてました。
そんなこともあって、今年は単独でしたが再度参加をしました。午前8時30分からの安全祈願祭の後、打ち上げ花火を合図にテープカットが行われ、推定300名ほどの参加者が一斉に頂上目指してスタートを切りました。
幼児から小学生連れの家族の参加者が三分の一近くもいたことには驚かされました。参加者同士この子どもたちと歩みを同じにして進んでいきますが、子どもを励ましながら登る家族がいるかと思えば、メタボの親を励ます子どもがいるなど様々なほほえましい光景がみられました。
登山道の途中には、福島の水百選に選ばれた参詣清水があり、登山者の喉を潤してくれます。また、阿武隈の山々の中で国土地理院の一等三角点を持つ山は六座ありますが、日隠山はその一つでもあり、整備された案内板などを通してそうした歴史や自然に関する知識も吸収することができます。
下山後は、お楽しみ抽選会を開催したり、豚汁などのサービスをしてくれ、地元産品即売会や芸能発表会まで催してくれる念の入れようです。こうした中で参加した子どもちは和気藹々とやっています。
今わが国では嫌なことがたくさん続発しています。珍しい渡り鳥の一種である黒鳥が酷い目に合ったり、チュウリップや花壇の花々が切られたり、日本の国花である桜までが被害にあっています。一方では、硫化水素ガス自殺の流行まで勃発しています。こうしたことは人間社会全体がお金に目がくらんでおかしくなっていることの結果ではないでしょうか。政治家も企業家も、ことの原因を知らないはずがありません。彼らが作り上げた政策や経営の仕方が作り出したストレス社会が生み出したものであるからです。それなのに、知らぬ振りしています。いずれ、人間社会全体が狂ってきて、終いには人間である彼ら自身も破滅してしまうことは目に見えています。一刻も早く手を打たなければなりません。
それにつけても様々なストレスに打ち勝つ子育ての仕方の一つに、日暮山山開きのような行事に家族で参加することがあるような気がしてきました。既に子育てを終えてしまっていますが、孫を育てる機会が残されています。せめても孫にかかわるときにはこの経験を活かしたいものだと思いながら、受付で登山者全員に無料で配られた「日暮山山開き」の名入りのタオルをしげしげとながめながら考えたものでした。
ちょっと古い話になりますが、平成15年11月27日(木)夜、NHK総合テレビの「クローズアップ現代」で往年の日本人ジャズピアニスト秋吉敏子さん(73歳)の番組を流していました。
その番組の中で、幾多の苦労・紆余曲折を経験して、ジャズの世界に日本の歴史や祭り・思想を組み込んで世界初となる彼女独特のジャズを作り上げた彼女の功績と専属バンドの紹介がなされていました。その彼女といつも一緒であった専属バンドがここに来て突然解散したというのです。
彼女に言わせると“オーダーを越えた”のだそうです。端的に言うと、自分の歳が一定年齢に達し、また、今まで作り上げてきたことがある一定期間を経過したと言うことのようですが、ここまではなんとなく理解できるにしても、次の言葉に心の臓を刺される思いでぎくりとしました。
このような彼女にとっては異常ともいえる悪条件の中の73歳にして「新たな挑戦をする」というのです。さらに、今までやって来たことから離れて「自分に新たなチャンスを与えるため」だと言いきっていました。
この言葉を耳にした瞬間、「すごい」の一言以外の言葉が出ませんでした。しかし、そのときふと思い出したのですが、万年青年という言葉があるように、青年とは歳ではないとよく言われていることです。青年とは本来、歳若きものに共通の若き心・気持ちを持つことで、年齢ではないという言い古された言葉です。
この番組をみることで、自分のこれからの生き方に彼女の生き方を重ね合わせて考える時間が持てたような気がしました。
まだ漠として固まりかけていないのですが、少なくとも私も彼女のような人生を歩みたいと常々考えていました。彼女流にいえば、私も、この番組のほぼ4ヶ月後の平成16年3月31日をもって定年退職しましたから、まさに私にとってのオーダーを越えたのです。これからが私の本当の人生であるはずです。
私は前々から、人生を第二の人生などという言い方ではなくて、自分なりの区切りで生きる生き方をすべきだと考えていて、一生にして四世を生きたいと常々考えていました。この考えの詳しいことはいずれお話しすることにして、私のこの考えからいくと、今は三世期にはいっていて、ウォーキング人生を存分に楽しんでいます。その三世期がここにきて、一段と楽しみを増してきたのです。
ウォーキングというときには、ただの歩きや散歩と同じではないという意味が込められています。歩きによる何がしかの効果を期待して行われる歩きがウォーキングということになるようなので、その期待が少しでも達成できるような取り組み方やより効果的な歩きの方法が研究されてきました。
なかでも一番重視されるものとして、正しい姿勢を保持することがあげられます。両手をだらりとさげた通常の歩きかたでは、ここで言おうとしているウォーキングの正しい姿勢とは言われません。手を軽く肘のところでほぼ直角に曲げてコンパクトに軽快に左右交互に前後させて振りながら歩くのが最善のポイントといわれています。
そのためには背筋がまっすぐに伸びていないといけませんので、歩く前に両手を組んで頭の上にまっすぐ上げて背筋を伸ばしてから歩く習慣をつけることで正しい姿勢がとれますので、こうして歩き出すようにします。歩き出したら、足のローテーションは、つま先でけって、踵から着地するようしてリズミカルに動かします。腕の振りは、軽く握りこぶしを作り心臓より上の位置で肩の力を抜いた状態で振ります。また、目線は10〜15m先を見据えるように構えることで体全体の正しい姿勢を保ちます。
こうした一つ一つには、それぞれ意味があってのことで、腕をくの字に曲げて、背筋を伸ばしてウォーキングすることで、血液の循環が数段とよくなることから考えられたポーズのようです。
このような歩き方をすることで、分速100m前後の歩きにできますし、自然と歩幅も大きく取れて、ウォーキング効果抜群になってきます。このようなウォーキングをエクササイズ・ウォーキングと呼んでいます。
とかく街中で、このような姿勢重視の歩きであるエクササイズウォーキングをすることは、何か気恥ずかしい気もしますが、効果を期待してのウォーキングを実践するのであれば、ぜひ恥ずかしがらずに実践したいものです。
最後にウォーキング上、とても大切なことを付け加えておきます。水は飲みたくなってから飲むのではなく、飲みたくなる前に飲むようにすることが肝心です。エクササイズ・ウォーキングでは、確実に水分が体から失われますから、脱水症などの危険に陥らないようにしてウォーキングを楽しむ必要があります。
ホイツトマンは、野外生活の体験が最上等の人間を創る秘訣だと歌っています。
少々難解な詩ですが、詩の中で作者が言っていることは、屋外に出てのびのびと体を動かすことが人間にとっては最高の行動ですよということだと考えました。家の中に引きこもって、オタクをやっていてはだめですよという忠告のようであります。ある意味では立派なウォーキングの勧めではないでしょうか。
「健全な精神は健全な身体に宿る」という言葉がありますが、心身ともに健康で過ごすために手ごろな有酸素運動であるウォーキングの活用をはかってはいかがでしょうか。
義父は建築士の資格を持ちながら建築業を営んでいました。そんなこともあって一線を退いてからも、身辺のことはもちろん近所などの構築物の補修やちょっとした建造などはボランティア的なものも含めて、もてる技術を生かしてかなりの年齢まで自分の手でこなしていました。白寿でこの世を去りましたが、床に臥すようになる直前まで、手先の器用さを生かしたものづくりも欠かしませんでした。
あるとき、私どもが新聞の広告で折った小物やごみを入れる器を持参したことがありますが、これが自分でも作ってみたいということでした。となれば、作り方をおしえなけばならなかったのですが、時間に追われていて、その日はそのまま帰ってきてしまいました。
次の訪問の折に、待っていたとばかりに自らが作り上げたという紙の容器を見せられたのですが、これが何と私どもが通常作っているものとは極めて似てはいるのですが、折り方が全く違うものでした。聞いてみると、折り方の説明を聞く時間がなかったので、私どもが持参したものをばらして折り方を想像し、自己流の折り方を考え付いたというのです。これが何とも個性的でしっかりしたものでした。義父の職業からくる研究熱心さや創造力が衰えていないことに感心させられたものでした。
ウォーキングをしている人たちの中には、エクササイズ・ウォーキングのスタイルをしっかり身につけて取り組んでいる人がいる一方で、まったくの自己流であんな歩き方をしていたのでは、かえって体に負担がかかり悪い結果を呼ぶのではないだろうかと思われる人まで様々です。
義父のように基礎基本や共通点をはずさない上での自己流であれば問題がないのですが、全くウォーキングとしてはふさわしくない基礎基本から外れたウォーキングは早めに解消する必要があるのではないでしょうか。義父の折り紙を折っている姿をふと思い出したら、ウォーキングにも共通のことだなと感じた一瞬でした。(
「けんていごっこ」という名前のサイトがあります。エンターテイメント性があり、楽しんで知識を身につけることができるように、しかも、一人だけで完結するものではなく、作成者、受験者などがクイズや検定を通してコミュニケーションがとれるようなサービスをしようという意図で立ち上げられたようです。ここでは、ユーザーがクイズやドリル、検定を作ることができるサービスもしています。いずれは作成にも挑戦してみたいとは思いますが、ともかくウォーキングに関する検定なるものがあるのかどうか探してみました。
ありましたありました。「趣味」・「健康」の中に「ウォーキング検定」というものがありました。期待していた検定なので早速受験してみました。残念ながら、結果は不合格でした。出題内容が一般的なものばかりではなく、地域的な偏りがあることやかなり詳しい知識を求められるものもあって、選択肢の中には一目瞭然ではっきり間違いと分かるような設問が何題かあるのですが、合格することはできませんでした。
勉強をしなおして後日再受検をして、ようやく10問中9問までをクリアでき合格することができました。認定証までいただけてなんだかうれしくなったりしました。活用の仕方によっては、作成者の意図通りに楽しみながら知識を確認でき、その分野の普及にも貢献できると感じました。この先研究をして私も「新・ウォーキング検定」なるものを作成してみようかと、小さな闘志を燃やしているところです。
ウォーキング検定のアドレスは下記の通りです。ぜひ挑戦してみてください。
NHK教育テレビ番組の中に日曜の朝に放映される「俳句」という番組があります。その担当選者の一人正木ゆう子氏が、番組の中でウォーキングと俳句についてふれられていました。端的な言葉で言えば、「散歩をすると、リズム感が出て、良い句が生まれる」のだそうです。吟行という言葉があるくらいですから、作句と歩きはとても深い関係にあることの予想はついていましたが、改めて有名な俳人から直接こうした言葉を聞くと納得するものです。
私も、大好きな川柳をウォーキング中に作ることが多いのですが、歩きのテンポが心地よいテンポとなって、思考回路にリズム感を与えることは確かなようで、次から次へと川柳が浮かんでくるというようなことがしばしばあります。しかも、歩きの中で目にしたことや耳から飛び込んでくる音、鼻についた香りやにおいなど、体の五感でキャッチしたことを句作りに直接題材として活かすこともありますから、良い句が生まれることにつながることは間違いないように思われます。しかも、歩きながら推敲を繰り返すことが可能ですから、作句した句にさらに磨きがかけられることにもなります。
こうして出来上がった句を投句することがよくありますが、机上で作ったものよりは明らかに抜句・入選する確立も高くなっています。正木ゆう子選者の言っていることがうなずけるというものです。
2008年の1月15日(月)午前9時35分から放映のNHK(総合)テレビの「生活ほっと、まだまだ磨ける記憶力・顔と名前はこう覚える―クイズdeなっとく記憶力―」で、記憶の達人の技が披露されていました。名前を空で覚えるのではなく、自分の体験や好みにうまく結びつけることが記憶のコツなので、名前もそれに順じた覚え方をするようでありました。
注目すべきは、この番組の中で、週2〜3回、30分の軽いジョギングで驚異的な記憶力のアップを図ることができるという京都大学久保田競教授の研究が披露されていたことです。これを見逃す手はないとの思いから慎重に聞いていましたが、ウォーキングやサイクリングでも同じような結果が得られるということですごく驚きを感じました。
ポイントは、全身を動かす適度な運動にあるのようですが、歩きも記憶力アップ(向上)になるという事実が判明したというのですから、歩かにゃ損々という気分になったものです。
この番組をみていて、久保田教授には申し訳ない気持ちもあるのですが、体に適当な刺激をもたらす運動が病気予防はもちろんのこと、病気の改善、時には治療という面でも多大の効果があるということはさまざまな医学者が繰り返し述べてきたところであることは事実です。したがって、真新しいことではないのですが、これを権威ある報道番組を通して久保田教授があからさまにされたことは、きわめて重要なことではないかと思いました。
医学的な効能に関しては、時としてそれを取り入れる方の遺伝学的なものや予想もできないような突発的なことが出てくることが往々にしてあるのもので、こうした予想もされないことから出てくるリスクを考えると、あえてNHK教育テレビのような番組で前面に出てとやかく申し述べることは、大きな賭けになる可能性もありますから、はばかりたいというのが一般的風潮ではないかと思います。それをあえてなされていた久保田教授に敬意を表すると同時に、例外的なことを除いてはよしとされることに取り組むことは人類の幸福につながるという視点で、記憶力アップのためのウォーキングを推奨する者であります。
でガラス工芸業を営んでいる鈴木啓司さん(36歳)の「風求め四季感じ息子と歩きたい」という投書をみました。一年前にウォーキングをはじめたお子様も今年は小学校3年生になられたとのことです。この一年間に400kmを超す距離を制覇し30市町村近くも歩いたとのことですから驚きです。
ウォーキング大会で一緒になる方々との交流や移り変わる四季を感じて息子さんと一緒に歩かれるお父さんの姿が見えてくる内容で、とても関心を覚えました。そしてそこに子育ての原点をみました。
子どもさんと何か共通した趣味のようなものを持って生活したいという親御さんも多いのではないかと思います。そんな親御さんにこの鈴木さんのように子どもさんと一緒に子供さんレベルで取り組むことはとても意味あることではないでしょうか。子育てはこうでなくてはいけないなんて、そんな法則みたいなものはないと思いますが、鈴木さんの子供さんとウォーキング大会に参加する取り組みは、立派な子育ての一方法かと思います。
ただ、注意することが一つあります。親御さんがウォーキングにのめりこんでしまって、子どもさんのほうは部外者にされてしまい、親子の断絶が生じてはもともこもなくなりますので、軸足は子育てにおいて取り組んでみることを忘れないようにしたいものです。
は福島県内でもウォーキング愛好者の多い地区で、数多くのウォーキング・イベントが計画・実践されています。いわき地区以外でもウォーキングによる町おこしを進めているところや健康づくりの基本にすえているところなど、ウォーキングを取り入れた施策を講じている市町村を数多く見ることができますが、もっともっとウォーキングを生かした諸活動の輪が県内各地に広がることを期待したいものです。そうすることで、鈴木さんのような考えで子育てをする方が取り組みやすい環境が出来上がるのではないかと思います。
が一体となって、年間事業「色彩(しきさい)ウオークinきたかた」をスタートさせ、観光喜多方の新たな魅力として、「ウオーキングのまち喜多方」を県内外に発信することになりました。
4月の「蔵のまち喜多方桜ウォーク」、5月の「幸福の黄色いハンカチの和収穫体験ウォーク」、11月「秋の喜多方長床ウォーク」のほか、10月には「メグスリノキウォーキング」「市民健康ウォーキング」などがあります。
これらのウォーキングのイベントにあわせて、講習会の開催も予定されていて、日本ウオーキング協会の指導員らが実技などで、正しいフォームやペース配分、水分補給やストレッチの仕方などを指導することになっています。
こうして年代・性別を超えて参加できる取り組みやすいウォーキングという行事を取り込んだことで、
に限らず、県内の全ての市町村それぞれにその土地その土地のウォーキングに適したコースは考えられるわけですから、同じようでありながら、特殊性を前面に出したウォーキングでの町おこしができる可能性があります。
「ウッドチップ遊歩道」というのがあります。これは、森に親しむ新たな空間としてウッドチップを敷いた遊歩道をつくり、足に優しく歩きやすくして、柔軟性により疲れもとっていただこうとい取り組みですが、かなりのところで導入され参加者たちから大変好評を博してります。
さらに、自然林内にある管理棟を改修したり、野生生物が観察できる自然観察用スペースやウッドデッキを設置するというようなことが行われている例もあり、ウォーキング愛好家にはありがたい取り組みが広がっています。
では、管理棟の天井に自県産のスギ、壁にヒノキを用い、くつろぎながら野生の動植物が観察できるようにした空間を建設しました。管理棟の周辺の自然林の整備が進んだため、苔の自然環境が戻ってきた上、森林内ではカタクリやキンラン、ギンランなどの野生植物の姿も見られるといいます。
このようにほかとは違った自前でならできる取り組みを負荷することで、ウォーキングの町おこしはどこでも可能になってきます。
ウォーキング・エッセイ・その20 ウォーキングを継続するための工夫
ウォーキングをはじめる人の多くは病気の予防や改善のためということで、人生を楽しむためのウォーキングとして捉えてはじめる人は案外と少ないようです。ですから、ある一定期間継続してくると病気は改善してくる上に予防効果も目に見えて出てきますので、ついつい安心してウォーキングをやめてしまい再び肥満体になったり高血圧症に戻ってしまう人がいます。いわゆるリバウンドです。また、中には理想的な運動だからと主治医に進められてもなかなかウォーキングをはじめられない人さえいます。そこで、楽しくウォーキングを継続する方法はないかを考えてみたいと思います。
物事はなんでもそうですが、それを行う目的なり目標がしっかりしていると続けられるということが考えられます。また、極端なつらさを感じることなく楽しく気軽にできるようであればさらに継続に拍車がかかります。
あるフィットネス・トレーニング・アドバイザーがウォーキング継続のポイントを次のように言っています。
「初めは週一回でもよいから、自分が続けられるペースで取り組むこと。コースや天候、体調などを記録する運動日誌をつけると飽きないでやれる。運動日誌は、自分のぺースをつかむことができるようになると同時に、励みにもなるからである。一緒に歩く人を見つけると楽しさも倍増する。ウォーキング途中でどこか痛くなるようなことがあったら、決して無理をしないこと、がんばり過ぎないのが続けるコツです。」
何のためにウォーキングをするのかをはっきりさせた上で、上のようなことを参考に取り組まれたら良いでしょう。
ウォーキングを継続した方たちの体験談を聞くことも継続のための励みになるのでご紹介しましょう。
「ウォーキングによって、イライラの解消、精神的疲労感の軽減、開放感の感得、意欲の高揚が認められた」「ウォーキングをしている間に、思考を深めることができたり、情操の醸成ができた」「ウォーキングを続けたら、快食、快眠、快便がもたらされた」「ウォーキングをやるようになって、生活が計画的になり、生活に張りも出てきた」
こんなにいいこと尽くめで、お医者さんなど要らなくなるのではないですかと言われそうですが、ウォーキングをやり始めて、お医者さんに別れを告げた方はいっぱいおります。だからこそ、このことに気づいた方々は長続きするようです。
朝の早い時間などにウォーキングをしていると、頭の中がフォーマットされたようなさわやかな気分になります。まだけがれのない新鮮な空気を吸い込んで、頭の中はどんな思考にも応えられる状態になります。このような状態で思考をはじめると、すごいひらめきが次々と出ます。私はこのときのひらめきを全て手帳に書き込んで持ち帰ります。それは日記になったり、そのときを生き抜いた私の証としてかけがえのない自作品になったりします。
このようにウォーキングを継続している人は、それぞれにいろいろな効能を理解できるようになりますので、少々の困難を乗り越えるかたちで継続されているようです。何人かで誘って歩くことを楽しみに感じる人がいれば、一方ではマイペースで気ままな歩きを好む人もいます。歌を詠むための歩きをする人もいれば、健康を取り戻そうと努力をする人もいます。皆それぞれにウォーキングの目的や目標があって、それぞれのやり方でそれぞれに継続して何かをつかみとっていることだけは確かです。どうも継続ができないと言う人は、だまされたと思って、もうちょっと続けてみてください。必ず見えてくるものがあります。あなたにしか見えないものが必ず見えてくるのです。止めることは、それが何であるかわかってからで遅くはありません。そしてその見えたものが本当につまらないものなら、何だこんなことだったのかと止められても仕方がありません。
ウォーキング継続のコツは、止めようかなと思ったときに自分だけのものが見えないようだったら、見えるまでもうちょっと続けてみることだと思います。
次になかなか始められないケースの方についても同じようなことが言えます。ウォーキングのすばらしい効能が山ほどあることは周知の事実ですから、これを知ってはじめないとしたら目の前のお宝をみすみす捨ててしまうことに等しいのではないでしょうか。美味しい食べ物を一口も食べないで我慢することができないように、こんなにいい物に手も触れないなんて残念極まりないことではないでしょうか。
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